花屋
花屋の前でおばあさんが立ちどまっていた。
店先には鉢に植えられたビビッドなピンクの花から、小さなビニールポットに入った苗と色々そろっている。奥にはブーケや花瓶が見える。おばあさんは通りすがりに後ろ髪を引かれるように花を覗いて、身体の向きをかえた。店先の花を見ると、そのまま蝶が花の蜜に誘われるように、ゆっくりと店内へと入っていった、店員さんの声が小さく聞こえた。
わたしもお店に行こうかなと思いながらも、すぐに枯らしてしまうだろうとか、花に詳しくないとか、適当に理由を付けてお店を後にした。後にして、その言い訳が頭のなかをぐるぐるとまわった。
考えてみると、花とは枯れるものだし、詳しくある必要なんてどこにもない。花を買うということは、たぶん、その美しさを手元におくということで、それはずっとではないし、説明できるものでもない。
美しさを買う、と言うと何かおこがましいのだけれど、自らが美しくなるわけでもないし、買ってそのままというものでもない。花を愛でる、という行為の裏には諦めにも似た切なさがあるように感じる。その切なさに耐えられない、というのは言い訳になるだろうか……
おばあさんは一体どんな花を買ったのだろう。