気まぐれに好きな詩を載せる 「マリー・Aの思い出」
マリー・Aの思い出
九月はあおい月、その月のあの日に
ひっそりと、若いスモモの木の根もとに
あの子を、蒼いひっそりしたこいびとを
ぼくは抱いた、優しいゆめを抱くように。
ぼくらの上のすみきった夏空に
ひとひらの雲がぽっかりと浮かんでいた
気の遠くなるほど白くて、高い雲、
また見あげると、もう消えてしまっていた。
あのときから、いくつもいくつもの月が
ひっそりと沈み去りながれている。
スモモの木はもう伐られてしまっただろう。
きみは問う、こいびとはどうしている?
ぼくはいおう、ぼくにわかりはしない
むろん誰のことなのかはわかるのだが。
その子の顔はほんとに憶えていない
あのときたしかに顔にキスしたのだが。
キスさえ、とうに忘れてしまっていただろう
もしもあのときにあの雲がなかったら
あれはまだ憶えている、たぶんいつまでも
とても白く、とても高くにあったから。
スモモの木はいまも咲いているかもしれない
あの子もげんきで、子が七人もいるだろう
でもあの雲はあのつかのま咲いたきり
見あげると風にとけこんでいた、もう。
ベルトルト・ブレヒト