見舞い

兄のお見舞いにいってきた。

彼が入院したと電話をもらったのは十日ほど前で、手術は三日前にあった。「手術が終わってからのほうがいい」と父に言われ、今日行くことにしていた。午前中に電車を乗り継いで、久しぶりに家族のいるその街を訪れた。天気はすこぶる良かったのだけれど、とても風が強かった。

移動中に何度か、兄の病状を説明する父の口調が思い出された。父の声はゆっくりと落ち着いていたのだけど、最悪のケースを自らが確かめるようにして伝える言葉には、どのような現実が待っていようと受け止めるしかないという哀しみにも似た覚悟が感じられた。そして、術後の看まもることの疲れと、最悪を免れたことへの安堵に満ちた声は今も留守番電話に残っている。

最寄りの駅に着いたのは、昼頃だった。病院は大きく見えていて、迷うことはなかった。ロビーで父が待っていると連絡があった。

病院に入ると、“受付”“病棟”“外来診察“と書かれた看板があり、すぐそこがロビーだった。天井が高くて、たくさんのソファに診察待ちや付き添いの人たちがすわっていた。

父はエレベーターの前にいて、わたしに気づいて小さく手を挙げると、そのままボタンを押した。エレベーターのなかで術後の経過を聞いていると、話し終わる前に病棟に着いた。扉が開くと、廊下の右手に兄の名前が掛かった病室があった。何も言わず、父についてそのまま病室に入った。

カーテンの向こうに母がいて、ベッドに横たわる兄は食事中だった。食事中だったが、彼は箸をつけずにただ顔をゆがめていた。わたしに気づくと、少しだけ頷いて指を動かした。母はわたしのためにと椅子を用意してくれた。

しばらく小さな病室で四人、なにも話すことなくそのままでいた。点滴のしずくがゆっくりと落ちて、窓の向こうには市役所の大きな時計台が見えた。

どれくらいの時間、動かないでいたのだろう。(短かったことは確かなのだけれど)「ごはんを食べないといけないから」と母が言って退室するまでが、訪れるまでの時間、父の電話を受けてからの時間よりも長く感じた。結局、「またくるから」と一言だけ声をかけてそのまま病室を後にした。兄はまた小さく指を動かした。

エレベーターで降りて、ロビーで父から他の姉弟の近況を聞く。父の顔色は、疲れが皺にそのまま刻まれてしまったかのように悪かったのだけれど、小さく笑うその表情はとても嬉しそうだった。

手を振って、父とはまた明日会うかのようにさらりと別れた。

それでも、父と母が元気で、姉弟ともくだらないことを言ったり、時には疎ましく思うことができるような穏やかで、ありふれたこんな素晴らしい時間はずっとはつづかないのだろうと思い、あの兄の表情や母の声、父の小さな笑顔を忘れないでいよう、いつ失っても後悔しないように今日の感触を覚えていようと、小さく誓った。