『競売ナンバー49の叫び』つづき

前回の記事で、『競売ナンバー49の叫び』の“エントロピー熱力学第二法則)”と“ミュートのついたラッパ”のことに言及していなかったので、考えた事を補っておこうと思う。

 

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

 

 

 

まずは、エントロピーについて。

エントロピーとは、秩序から無秩序へと状態が進んでいく事を表した物理法則のこと。簡単な説明としては、お湯と水を混ぜるとぬるま湯ができるけれど、ぬるま湯をお湯と水にわけることはできない、ということ。具体的に言うと、お湯のなかでは水の分子が激しく動いているが、水のなかでは湯に比べてゆっくりと分子は動いてる。だから、ぬるま湯のなかから、激しい分子とおとなしい分子を選り分けることができれば、理論的にはお湯と水に分ける事ができる。けれど、現実的には選り分ける事は到底できない。自然のなすがままにすれば、秩序は無秩序に移りゆき、もどることはない。

作中では、「ネファスティス・マシン」という機械が出てくる。これは、マクスウェルの悪魔という不可能とされる水の分子の選り分けができるマシンの象徴として登場して、一つの示唆になっている。(作中では、結局選り分けることはできない)

どのような示唆かというと、世界全体をエントロピーの概念で捉えたうえで、その無秩序を秩序化することができるだろうか、ということ。

例えば、ニュースを見れば紛争や領土問題、信条や人種の多様性からくる差別排斥、周りを見れば人間関係のいざこざ…などなど何もなかったところ(秩序)にもつれて絡まる問題(混沌)がうまれている。この無秩序の根本の原因としては「わたし」と「他者」の差異があり、その差異が「衝突」(混沌)を生んでいるのである。そして、世界全体でも「ネファスティス・マシン」(something)をもちいて差異を選り分け、秩序化ができるだろうか、ということが考えられる。

示唆をする以上、出来るという可能性はあるのだろうし、作者はそのきっかけとなる“something”について心得ているのでは……と思うが、どうだろうか。

 

次に、“ミュートのついたラッパ”について。

まず、ラッパは郵便制度の象徴という前提がある。なぜならば昔、郵便配達人が村に着くとラッパを鳴らして人を集めて郵便物を配ったからだ。

そして、そのラッパにミュート(消音器)がついている。これは音を鳴らす(表の)配達システムとは違う、音を鳴らさない沈黙の(裏の)配達システムがあるのではないか、という事を示す。

作中では「W・A・S・T・E」という箱が出てくる。単にwasteなら屑籠になるのだが、ピリオドが入っていて違和感が残る。エディパはその違和感が気になって、その後を追う。すると、「テュール・ウント・タクシス」というヨーロッパの郵便組織や、「トライステロ」という謎の組織がちらほらする。そのうち、「W・A・S・T・E」はWe Await Silent Tristero's Empire(われら沈黙のトライステロ帝国の出現を待つ)の頭文字ではないかということになり、エディパがトライステロとは?という謎を追って話は進んでいく。

では、この“ミュートのついたラッパ”は何を示唆しているのだろうか。エディパが日常の生活では全く気にする事なく、非日常の冒険のなかでその謎を追うことになるのが印象深い。つまり、目に見えているものだけが全てだと信じる(表の)人には関係なく(使う必要もない)、目に見えないものの動きに関わる(裏の)人は関係がある(使う必要もある)のである。(正に表向きは屑籠)

そして、このインフラが読者の現実の世界でも存在すると言える(厳密には、否定も肯定もできない)ことが意味深い(面白い)。

ここでひとつ仮説を立ててみる。

「トライステロ」の目的が「世界全体をエントロピーの概念で捉えたうえで、その無秩序を秩序化する」ことだとしたら、その実現、情報のやりとりの手段が「ミュートのラッパ」になるのではないか、ということ。

また、「トライステロ」という組織がユートピア(虚構)だとしても、その実現を志向して「ミュートのラッパ」を使うことである種の共同体が形成されているのではないか、ということ。(つまり、志向するものだけがわかる“サイン”のやり取りがある。)

これが本当だとしたら、表の世界の運行・存続と平行して、裏の世界の運行・存続が想像できる。(表の人たちは絶対に気づかない!)

たぶん、“サイン”は何だろうか、と謎を追うことは「ミュートのラッパ」の流れに乗っているのだろう(まさに作中のエディパ)。そしてその先に、「大地のマントを織りつむぐ」の出口、「トライステロ」があるのだろう(と肯定も否定もできない)。

以上を、パラノイアと取るかどうかは、“あなた”次第だ(結論 ピンチョン面白い)